ABOUT
『ここまでの道のり』
ロミロミとの出会いは、まさに、ハワイ島との出会いから始まりました。
私は当時、デザイナーとしてある大きな企業で派遣社員として働いていましたが、ある時期、とても疲れていたときに、どこかマッサージにでも行こうと思い、選んだのがロミロミでした。
南国が好きだったので、単純に、いいかもしれないなあと思っただけだったように思います。
施述中は、波に揺られているような気分で、すっかり眠ってしまい、殆どどんな感じだったかは覚えていないのですが、終わった後に、まったりとしながら少しロミロミについて伺っていたときに、ハワイ島で学ばれたんですね〜という部分が私にヒットしたようです。
何故か、ハワイ島に行きたい!!という強烈な想いが沸き起こってきて、割とすぐに初めてのハワイ島へ、友人と飛んで行きました。
友人は、仕事で、一足先に日本に帰国してしまったので、そこからは一人旅で、大きなハワイ島をレンタカーで回り始めました。
イルカに会いたかったので、一人でイルカに会うツアーに参加し、ヒロという街にあるユースホステルに滞在。
その間に、是非行ってみたかったプナという地区に行きました。
そこは、人こそ住んでいるとはいえ、まさにジャングルで、広さも結構あり、ひとまずは車でドライブしたり、していました。
あの時の感動は今でも忘れられません。
また、不思議な体験もあり、さらにはその後の日も、なんだかんだでご縁ができて、ヒロから1時間くらいかけて通いました。
ハワイ島から帰る飛行機の中で、悲しくないのに何故か涙が止まらず、まるで最愛の恋人とお別れした後かのような雰囲気だったと思います。
帰ってきてから、2週間ほどずっとまさにハワイにいる夢をみ続け、朝、目が覚めると、あれ?ここは東京だったのかとハッとさせられるという日々が続きました。
そして、とうとう夢が薄らいできた頃、また、強烈にハワイ島に戻りたい!!
という気持ちが沸き起こってきたのです。
どうしても、あのプナに、少しでも長く滞在してみたいという気持ちがあり、気がつくと、プナでロミロミを教えているハワイアンの先生を、インターネットで探し始めていました。
そしたら、その当時、ヒットしたのが私のロミロミのクムしかおらず、とても心強いことに、日本人のアシスタントがサポートしているとのことで、その日本人の方が窓口になっていたので、すぐにコンタクト!
そうすると、すぐにお返事がきて、しかも、文面だけでもとっても親しみを覚え、信頼感もあったため、すぐに「必ず行きます!」と宣言して、お仕事の他に単発のアルバイトしたりしながら、とにかく資金作りと、またハワイへ行くためのチャンス作りをしていました。
私の強い意志が実を結び(笑)、職場にもお休みをいただけ、私は再びハワイ島へと行くことができました。
そこから、私のロミロミ人生が始まったのですが、最初のレッスンは、参加者3名の贅沢なセミプライベートレッスンで、誰一人として、セラピストとして働いている人はおらず、要するに…全員ロミロミでした。
そのレッスンは、全員、ロミロミを学びつつも、水面下では、重たい何かを浄化するために来た、という感じだったという感じでした。
私が抱えていたのは、数年前に突然他界してしまった、親友を失ったことへの悲しみだったと思います。
私は、とにかく施術するということ自体全くの初めてだったのですが、もうそこに居られることが嬉しくて嬉しくて、全くの未経験でとにかく何にもできないのだから、ただただ、クムの声に全身全霊で耳を傾けようと思い、そうして、教えてもらったことを一生懸命再現しようとしていただけだったのですが、案外、「それでいいよ、上手」と、私が不安になる程(笑)すっと褒めてもらえ、パワーがあるねと言ってもらえました。
私にしてみたら、よくその意味が掴めず、ボカーンという感じでしたが。(笑)
「涼子力!」
私が、それなりに緊張しながら、新しく覚えたばかりのロミロミの練習をしていると、そんな風に言ってくる、おちゃめな部分もあるクムには、本当に大切なことを、ハワイの自然と繋がりながら、たぷりと教えていただきました。
本当に人生にとってかけがえのない日々で、私は、この先、世界中で訪れてみたい場所を諦めてでも、ハワイ島へはずっと、何度でも戻ってこようと強く思いました。
それほど、ハワイ島に惹かれるのは何故なのか…正直なところ、全然説明はできません。
ただ、そうなんだなあということを確信しており、色々な人生の転換期があったけれど、ずっとその気持ちに寄り添いながら、その意志を持ち続けたことが、私をここまで連れてきてくれました。
帰国後、とにかく忘れないためにはすぐに練習して!と、当時はクムのアシスタントだったまりこさん(現在はまりこさんもクムになっております)にアドバイスしてもらったので、注文してる時間も歯がゆく、旅の疲れもなんのその、すぐにコストコへ行き、電車でマッサージベッドを運んできてしまいました。
そして、すぐに、一緒に運んできてくれた、同じマンションの上階に住んでいた友人にロミロミさせてもらいました。
そんなこんなで、働きながらも、どっぷりと《人生はまさにロミロミだ》みたいな生活が始まったのです。
その年の終わり、また、ハワイ島へ行ける機会を手にした私は、またハワイ島へ行き、さらにハワイ島の深い部分と繋がりながら、エネルギーの勉強をさせていただき、また、今となってはとても貴重な開催となった、ロミハーパイ(妊婦さんのためのロミロミ)を、クム デェーン・カオヘラニ・シルヴァだけではなく、ハワイアンの年長者であるアンティ メリー・フラガスや、ヒロで開業している自然療法のドクターにも教えていただくことができたのです。
当時は、デザイナーとして働いていたので、週末にロミロミをさせていただいておりました。
そんな中、クムから教えていただいたことで、自分に足りないことなどを色々学び、深めたいという気持ちが沸き起こってきて、瞑想を学んだり、気功整体を学んだり、太極拳をやってみたり、チネイザンという氣内臓療法を学んだりしました。
どれも、素晴らしい出会いで、ロミロミと共鳴する部分がありましたが、どんなことを学ぶきかっけも、自分のロミロミが深まってればいいなという、単純で真剣な願いから繋がっていったことだったように思います。
2011年、東日本震災のあった年に妊娠するまで、そのような形でロミロミを続けていましたが、大きな変化の波に乗りながら、産休に入り、2012年に入ってすぐに出産を経験し、それからどっぷりと子育てが始まりました。
妊娠、出産、子育てを通しても、本当に素敵な出会いと、学びの機会が沢山ありました。
妊娠中、そして、産後には、マドレボニータのバランスボールエクササイズに通い、会員にもなっていた事もあります。
また、産後、乳腺炎になったことから、成田のおっぱい先生のところへ通うことになり、先生との交流を通して、色々と大切なことを教えていただきました。
私は、娘が1歳の時に離婚を経験しているのですが、実家のある富里市に帰ってきてから、お仕事を探さなくてはならず、求人を見た途端目に飛び込んできたのが、放課後等デイサービスのお仕事でした。
私は、実は、2011年の初めに、子供たちをサポートできる何かをしたいと思い、仕事を辞める覚悟で、保育士の職業訓練の試験募集に応募した事がありました。
しかし、応募者が会場溢れるくらいいたので、経験も何もない私は、書類で落とされてしまったのですが、こういう形で子供達と関わる事ができるなんて思ってもおらず、非常勤で2年ほどでしたが、大変貴重なありがたい時間を過ごさせていただきました。
また、娘が2歳の頃、産後に本に出会い、とても感銘を受け、いつかお会いしたいとおもっていた志村季世恵さんが主催している『大家族ごっこ』に参加させていただきました。
2014年、2015年と参加させていただき、本当に貴重な体験をさせていただき、今でもそこで出会った大家族との、あたたかい交流が続いております。
子育てしながらも、いつか、またロミロミを再開したいなあと思いつつ、それは遠い夢のような世界に思えるほど遠くに感じていましたが、放課後等デイサービスで働きながら、じぃじばぁばに協力してもらい娘を預け、ハワイから帰国したクムまりこさんの復習会に参加したり、ロミノホを学んだり、友人のロミロミスクールへ行っては、練習モデルをやらせていただいたり、ホットストーンを学ばせていただいたり、イベントのロミノホブースに顔を出したりしながら、ロミロミとの関わりは、続けていました。
大きな転機は、言霊の学び(ザ・ワープ)のセミナーに参加した事でした。
言霊の学びに出会う少し前、斎藤ひとりさんにとても共鳴し、娘とひとりさんファンのお店へ足を運んだりしていたのですが、そこで新しい学びを深めている中で、ザ・ワープに出会いました。
自分の今までの学びでは、すんでのところでどうも越えられなくて、深い部分に残っていた部分が、言霊を学んだことにより、とことん情緒を網羅し向き合うことで、すっきり祓うことができたのです。(もちろん、生きている以上、祓いは続いていくのだと思います。)
それにより、とても軽くなり、それまで場所がないからロミロミを始められないという部分が、すっと解消し、思いがけないところから道が開けたのです。
言霊の6ヶ月間のセミナーが終わった後、ずっと学びたかった解剖学的なことを学べるロミロミのワークショップを、とてもいいタイミングで、しかも日本で受講する機会に恵まれたのですが、それが終わると、待ってましたというように、思いがけない場所が、ポンと空いたのです。
そこは、住まいの横の小さな一軒家でした。
実は、そこに住んでいた方は、引っ越そうとなんて微塵も思っていなかったのに、諸事情ができ、引っ越されることになったのです。
この家(ハワイ語でHALE)と出会い、それまでは、交通の便がいいところとか、色々考えながら店舗物件なんども気にして探していましたが、自分の深いところでは、まだ幼い娘の側で成長を感じながら、働きたいという思いがあったことに、気が付かされ、どうやってこんな場所まで人を呼ぶことができるのかわからないけれど、この場所を整えて、大好きなロミロミを再開したいという思いが膨らみました。
本当に突然だったこともあり、金銭面などの問題が頭をもたげましたが、そこもポンとクリアでき、どんどん話が進んでいきました。
その家の持ち主様も、本当に喜んで貸してくださることになり、「涼子ちゃんなら、壁を壊したって何してもいいよ、好きなようにして!」と豪快で有難い事を言っていただけ、愛情深い想いで貸していただける事に、とても嬉しく思いました。
そこからが、ちょっと大変でした。(笑)
家族や、地域の方々は、ここで開業することを快く受け入れてもらい、応援してくれたものの、一体私が、この古い家でどうやって展開していこうとしているのか、想像を絶していたのだろうと思います。
私自身も、リフォームどころか、大工もした事がなく、右も左もわからない状態で、きた波に乗っての、まさに見切り発車!だったため、調べる段階でもなかなか膨大な情報量と向き合わなければならず、育児しながらという、限られた時間でそこからどうやって最適な情報を得て、展開していったらいいのか、遠い気持ちになる事もありましたが、これはまたとないチャンスだと思い、とにかく、楽しみながら、進めていきました。
かなりディープな掃除や、いらない家具などの廃棄がまず最初の壁でしたが、両親や、近所のスーパーおじさま、友人たちも手伝ってくださったお陰様でなんとか乗り越える事ができました。
最初に皆様に、そのようにエネルギーをいただいたので、真冬の間は、厳しい寒さの中、サンダーかけたり、ペンキ塗りや、壁紙をはったり…と、体調を崩す事なく、元気にDIYに明け暮れておりました。
え、そこもやるの…とか、最初、周囲は、どこまでやるのやら〜と、少し様子見、引き気味だったと思いますが(笑)、私が勢いでチャレンジしていく姿と、またそれにより、家の中が少しずつ見違えるように綺麗になっていく様を見て、重い腰を上げてくれ、周囲を楽しく(!?)巻き込みながら、時に痛い失敗すると遠〜い気持ちになりつつも、春までもくもくと作業する事ができました。
とにかく子育てしながらなため、限られた時間の中での作業で、そのほかに考える事も山積み、減っていく一方の貯金…等々、焦る気持ちが出てきたりもしましたが、言霊の学びや、ロミロミとのつながり、両親はじめ、皆様の応援のお陰様で、ときに大波小波はありましたが、すっと軸に戻りながら、開店作業を進める事ができました。
お陰様で、DIYをした空間も、楽しみにしてくださってる方がいらして、ロミロミだけでなく、この場所に来る事を楽しみに遠くから足を運んでくださる方が、練習モデルになりにいらしてくださっており、感謝の気持ちでいっぱいです。
生きている限り、どの瞬間も私たちは揺れ動いています。
大波小波はありますが、常に波乗り状態です。
日々、祓っていかないと、どんどん歪みが生じていきます。
それは、宇宙のエネルギーと常に繋がっていて、いろいろなところに歪みが出てきます。
それが、人間関係だったり、わかりやすいところでは体の不調となって現れてきます。
ちょっと辛くなった時、人は、お医者様になんとかしてもらおうとか、薬でなんとかしてしまおうとか、霊能者になんとかしてもらおうとか、様々な行動に出るかもしれません。
一時的に楽になったとしても、結局は、自分の力でしか越えられない次元があります。
そのサポートを、このHALE MĀLAMAで、できたらいいなと想っております。
ロミロミとは、本来そういうものだったのではないかと私は感じております。
言霊を学んでいて、多くの共鳴があり、今までもう一歩越えられなかった部分がすっきりしていきました。
ロミロミで学んだ教えも、さらに深まっていく思いがしました。
そのわけは、ロミロミでいう「マナ」というのは、「言霊」の事だったのです。
「自分」を癒せる力を持っているのは、ほかの誰でもなく「自分」しかいないのですが、
ここに来ていただき、リラックスしてロミロミを受けていただく間に、そのスイッチを入れるお手伝いができたらいいなと想っております。
なので、癒しの家と掲げておりますが、私が癒す場所という事ではなく、来ていただく方ご自身の力で癒しを経験していく空間であれたらという想いで、この場所を創っていました。
どうぞ、ご自身の力を信じ、力強く、楽しく、自分のこの世に生まれてきた生命を、思いっきり生かしていっていただきたいなと思っております。
また、言霊の学びで、これまた運命的なご縁ができた方が、イーマサウンドというサイマティクスをもとの発展させた音を使った施術をされ、たくさんの病に悩む方、また難病と言われる方をサポートし、救ってこられているのですが、その方からイーマサウンドを学ぶ機会にも恵まれました。
そのなかの100種類ほどの音について学び、HALE MĀLAMAでは必要に応じて、流しております。
難しい事はないんです。
どんだけ、ゆるめられるかなのだと思います。
最初は硬いかもしれません。
でも、根気強く、焦る事なく、ゆるめて参りましょう。
ここでは、何のジャッジも致しません。
どうぞ、今生きてる、そのまんまのお姿でいらしてください。
お会いできるのを楽しみにしております。
広がっていくご縁に、感謝∞です。
祓いと鎮魂を世界に。
with aloha
HALE MĀLAMA
Ryoko Yanagidaira
『ロミロミのクム(師)について』
Dane Kaohelani Silva
デェーン・カオヘラニ・シルヴァ
ロングライフロミロミの創始者。
ハワイ島ヒロ生まれのネイティブハワイアン。
ケアウカハで育つ。現在は、ハワイ島プナ在住。
幼い頃から、父 エドウィン シルヴァ、マウイ島ハーナ出身の祖母リリー カカニ ノブリエガからオハナスタイルのロミロミの手ほどきを受けて育つ。
ネイティブハワイアンばかりが住むケアウカハで育つ中、偉大なるマスター パパ ヘンリー アウアエやアンクル ヘリー ミッチェル、ビル カヌイなどから、さらに本格的にロミロミ、ラーッアウ ラパッアウ(薬草)などのハワイアンヒーリングを学ぶ。
その後もハワイの様々なクム(先生)、クプナ(年長者)、カフナ(マスター)からハワイアンヒーリング、ルア(武術)、メディテーションを、ハワイ内外の先生から武道、東洋医学、気功などを学ぶ。カイロプラクティックのドクターの学位、鍼灸師の資格も有り。ハワイ大学ヒロ校その他の大学で解剖学やヘルスサイエンスの講師としての経験もある。
ロミロミ指導歴は30年以上で、ハワイや日本をはじめ、アメリカ本土、カナダ、ヨーロッパ、ニュージーランド、オーストラリアなど、世界各国に生徒がいる。
伝統的なハワイアンのスピリチュアリティーと、左脳的な解剖学や病理学の両方を極めている数少ないクムロミ。
ハワイアンロミロミアソシエーション(HLA)の創始者の一人であり、初代会長。
現在は、HLAの会長、カイロプラクターとしては引退し、ハワイアンヒーラーとしてロングライフロミロミの次世代の育成と、薬草を育てるガーデンの開拓、また地元住民への健康教育ために尽力している。
〜クムロミ麻里子さんの、以前のホームーページの紹介文より〜